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大阪高等裁判所 昭和54年(う)1045号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

【説明】

本件は、路上で酔払いに絡まれている際、被告人の方が年寄りをいじめていると思つた被害者に仲裁に入られ、「何を、こら」と言い返したところから襟首を引張られたりしたうえ、これに抗議したことから顔、腹を殴られたり胸をつかれて俯伏せにされたり、さらに自分の手提袋から庖丁がこぼれたことなどから「なめとるんか」と左脇腹付近を足蹴にされたため、一方的な暴行に憤激するとともに反撃の意思で庖丁を股間部に突き刺し、全治約二か月の傷害を負わせたという事案である。

一審判決は、侵害の急迫性も防衛の意思も認められないと判断したのに対し、本判決は、侵害の急迫性も防衛の意思もあつたとして過剰防衛の成立を認めたうえ、「被害者との間で治療費・慰謝料等一七〇万円を支払つて示談を遂げ、同人の宥恕を得ていること、被告人の平素の生活態度・勤務成績も良好であること、その他諸般の事情を考慮し」、懲役一年、三年間執行猶予を言渡したものである。

【判旨】

二弁護人平山明彦の控訴趣意第一点の二及び同谷口稔の控訴趣意二(いずれも事実誤認、法令適用の誤りの主張)について

論旨は、要するに、被告人の本件所為は、荒井章による急迫不正の侵害に対し防衛の意思をもつて行なわれたもので、ただ防衛の程度を超えたに過ぎないので、過剰防衛行為に該るのに、原判決がこれを否定し、刑法三六条二項を適用しなかつたのは、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認、法令適用の誤りであるから、破棄を免れない、という。

そこで所論にかんがみ記録を精査し、当審における事実の取調の結果をも総合して検討するに、原判決は被告人の本件所為について過剰防衛の成立を否定することが明らかであるところ、原判決掲記の各証拠、殊に荒井章及び被告人の捜査官に対する各供述調書並びに被告人の当審公判廷における供述を総合すると、被告人は、原判示日時場所において高島吾市から酔余からまれて同人と口論し、同人の胸倉をつかんだりした際、近くを通り合わせ、右様子を被告人が高島をいじめているものと勘違いした荒井章から、「やめといたれ、年寄りをいじめるな」と言われたことについて、余計なことを言われたと思い、「何を、こら」と言い返すや、突然襟首を引張られ、手で胸をつかれたので「何や」と言つて抗議したが、これに立腹した同人から手拳で顔、腹を二、三回続けざまに殴られ、これに対し「何するんや」と言つて更に抗議したところ、同人から手で胸をつかれたため、身長約一五四センチメートル・体重約四五キログラムの小躯をつきとばされ、付近の工事用フエンスに背からぶつかり、そのはずみで俯伏せに倒れたこと、その際、被告人の持つていた手提袋が路上に落ち、その拍子に、おりから職場をかわるためいつたん自宅に持ち帰る目的で携行していた包丁二丁中原判示包丁以外の他の一丁が袋からこぼれ落ちたこと、被告人は右袋を拾おうとして手をのばしたこと、荒井はこれを見て、被告人が右包丁を拾つて反撃してくるものと思い、被告人に近づき、「俺をなめとるんか」と言つて被告人の左脇腹付近を足蹴したこと、そのため被告人は前かがみによろけ膝をつき中腰の姿勢にさせられるや、ここに、荒井から一方的に、かつ繰り返し暴行を受けることに憤激し、反撃を決意し、とつさに、傍に落ちていた前記手提袋内から原判示包丁をとり出し、腰をのばしながら、傍に立つ荒井の下方から、右包丁で力一杯、同人の股間部を狙つて一回突き刺し、よつて同人に原判示傷害を負わせたことが認められる。ところで、本件の発端事情に関し、鈴木恵の司法警察員に対する供述調書中「被告人は何か言つてつつかかつていつた」旨の供述記載があり、これによると、あたかも被告人が先制的に荒井に対し攻撃を加えたかのようにみられるが、右供述は、前掲荒井の司法警察員に対する供述調書中この点に関する「被告人は何をこらと言つてくつてかかつてきた」旨の供述記載に照らしとうてい信用できないのであつて、原判決も、この点に関し、弁護人の主張に対する判断二、において、「食つてかかる態度を示した」旨説示するところは正当である。しかし、次いで原判決は右判断二、において、被告人は荒井から「暴行を受けて、互いに掴み合いにな」つた旨説示し、荒井章の警察官に対する供述調書中右説示に沿う供述記載があるが、他方、同人の司法警察員に対する供述調書中には右同様の供述記載がなく、ただ、「くつてかかつてきた」旨の供述記載があるにとどまることに徴すると、右説示に沿う供述は直ちに信用できないというべく、したがつて原判決の右説示は事実を誤認したものというべきである。また、前認定のとおり被告人の本件所為の時点において荒井は被告人の傍に立つていたが、このことについて、荒井の検察官に対する供述調書中「殴るのをやめていました」旨の供述記載があるが、たとい同人の右供述どおりの事実があつたとしても、高島吾市の司法警察員に対する供述調書によると、同人は右時点までに既に立ち去つていたこと及び被告人の司法警察員に対する昭和五四年二月二二日付供述調書添付の診断書によると、荒井は右時点までの被告人に対する前認定の暴行により被告人に約二週間の通院加療を要する顔面打撲背部打撲・右膝打撲の傷害を負わせたことが認められることにかんがみると、荒井において重ねて被告人に暴行を加えなければならない理由はもはや消滅していたとみるべきであり、同人がなおも被告人の傍を離れなかつたのは、被告人に重ねて暴行を加える意思を有していたためであると認めるのが相当である。

さて、刑法三六条にいう「急迫」とは、法益の侵害が現に存在するか、又は間近に押し迫つていることを意味するものであるところ、これを本件についてみるに、被告人の本件所為の時点において前認定のとおり被告人はそれまでの荒井の暴行により相当の痛手を被つているうえ、更に同人が重ねて被告人に暴行を加える意思をもつて傍に立つていたのであるから、被告人にとつては、荒井の重ねての攻撃が間近に押し迫つている状況にあり、すなわち急迫性があつたものと認められる。そうだとすると、原判決が右認定と異なり、「荒井の暴行に急迫性は認められない」と説示するのは事実を誤認したものというほかはない。

次に、刑法三六条にいう「防衛スル為メ」とは、防衛の意思を必要とすることを意味するものであるところ、相手の加害行為に対し憤激又は逆上して反撃を加えたからといつて直ちに防衛の意思を欠くものと解すべきではないのであつて(最高裁判所昭和五〇年一一月二八日第三小法廷判決、刑集二九巻一〇号九八三頁参照)、これを本件についてみるに、前認定の被告人の本件所為に至るまでの諸経過のほか、被告人の司法警察員に対する昭和五四年二月一三日付、増井徳夫及び廣田嘉己の司法警察員に対する各供述調書並びに検察事務官作成の前科調書並びに当審証人西谷淳の公判廷における供述によると、被告人の平素の勤務成績は良好で、人望もあり、これまで交通事故以外殺傷犯歴もないことが認められることに徴すると、被告人が荒井に対し殊更な憎悪の念に基づく積極的な加害意思をもつて本件行為に及んだものとは直ちに断定し難く、同行為が防衛の意思をもつて行なわれたものと認めるのが相当である。そうだとすると、原判決が右認定と異なり、「被告人に防衛の意思がなかつたことも明らかである」と説示するのも事実を誤認したものというほかはない。

以上のとおりであるから、ただ前認定のとおり被告人の本件所為に至るまでに荒井から受けた侵害行為は素手によるものであるので、これに対し被告人の原判示包丁使用により荒井に原判示傷害を負わしめた行為が防衛上やむを得ないものであつたといえないことは明らかであつて、被告人の本件所為は正当防衛の要件を欠くものというほかはないが、刑法三六条二項が規定する過剰防衛の要件を充足するものと認めるのが相当である。そうだとすると、原判決が右判断と異なり、被告人の本件所為につき過剰防衛の成立を否定し刑法三六条二項を適用しなかつたのは判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認、法令適用の誤りであつて、この点で破棄を免れない。論旨は理由がある。

三前記二において説示したところから、その余の論旨(量刑不当の主張)について判断するまでもなく、刑訴法三九七条一項、三八二条、三八〇条により原判決を破棄するが、同法四〇〇条ただし書に則り更に次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和五四年二月一三日午前〇時二五分ころ、大阪市都島区東野田町三丁目四番一〇号先国鉄京橋駅北出口ガード下付近路上において、酔余からんできた高島吾市と口論し、同人の胸倉をつかんだりするなどした際、近くを通り合わせた荒井章(当時三〇歳)から、「やめといたれ、年寄りをいじめるな」と言われたが、これについて余計なことを言われたと思い、「何を、こら」と言い返すや、突然襟首を引張られ、手で胸をつかれたので、「何や」と言つて抗議すると、これに立腹した同人から手拳で顔、腹を二、三回続けざまに殴られ、これに対し「何するんや」と言つて更に抗議したところ、同人から手で胸をつかれたため、身長約一五四センチメートル・体重約四五キログラムの小躯をつきとばされ、付近の工事用フエンスに背からぶつかり、そのはずみで俯伏せに倒れ、被告人の持つていた手提袋が路上に落ち、その拍子に在中の包丁二丁中一丁がこぼれ落ちたが、右袋を拾おうとして手をのばしたところ、荒井がこれを見て、被告人が右包丁を拾い反撃してくるものと思い、近づいて「俺をなめとるんか」と言い、被告人の左脇腹付近を足蹴したので、被告人は前かがみによろけ膝をつき中腰の姿勢にさせられるや、ここに、荒井から一方的に、かつ繰り返し暴行を受けることに憤激し、同人に対し反撃するとともに、自己の身体を防衛する意思で、とつさに、傍に落ちていた前記手提袋内から筋切包丁一丁(昭和五四年押第四三三号の一)をとり出し、腰をのばしながら、傍に立つ同人の下方から、右包丁で力一杯、その股間部を狙つて一回突き刺し、よつて同人に対し、全治約二か月間(入院加療三三日間)を要する右大腿切創、出血性シヨツクの傷害を負わせたが、右所為は防衛の程度を超えたものである。

(吉川寛吾 西田元彦 重吉孝一郎)

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